

クロード・モネは印象派を代表するフランス人画家です。その最大の魅力は、睡蓮の絵画だけでなく、モネ自身が情熱を注いで作り上げた庭園にあります。本記事では、モネの生涯から庭師たちの静かな営みまで、そして私が庭師を生涯の主題として選んだ理由をご紹介します。
クロード・モネとは?
クロード・モネは印象派を代表するフランス人の画家です。1840年にパリで生まれ、18歳で画家になり、86歳で亡くなるまでの間に2000点以上の絵を残しました。印象派の画家でこれほど多くの作品を描いた例は珍しく、その旺盛な制作意欲は晩年まで衰えませんでした。

モネは27歳で親の反対を押し切って結婚し、2人の息子が生まれましたが、なかなか絵が売れず貧しい生活が続きました。30代から少しずつ才能が認められ始め、パトロンを得てパリ郊外に拠点を構えます。40代には画商や友人の尽力でアメリカでの個展でも多くの作品が売れ、50代には大きな富を得ました。その頃には、当時まだ珍しかった高級車を乗り回してスケッチに出かけていたといいます。
モネが創った睡蓮の庭

「睡蓮の画家」として世界的に知られるモネですが、あの睡蓮の池もモネ自身が情熱を注いで作り上げたオリジナルの庭園です。
モネは1867年のパリ万博で日本ブーム《ジャポニズム》に魅せられ、日本の浮世絵を200枚以上収集しました。特に、歌川広重の亀戸天神の浮世絵に描かれた太鼓橋と藤の花に憧れ、日本庭園を模した池を創ることを夢見たのです。
53歳のころ、ガーデニングに深くのめり込んだモネは東京ドームほどの広さの土地を購入します。20代から憧れ続けた日本庭園をフランス風にアレンジしたデザインで、腕利きの庭師を8人雇い、日本から取り寄せた柳や藤などの樹木、菖蒲や牡丹などの花を植え、睡蓮を池に浮かべて庭を完成させました。その後も視力を失う寸前まで、この庭を描き続けました。
モネ自身は「私の最高傑作は絵画ではなく、ジヴェルニーのこの庭園だ」と語ったとされており、その庭は当時のブルジョワ層が注目していたガーデニング誌にも度々掲載されていました。
睡蓮を守る庭師たち
モネは美しい風景を求めて電車で旅をしながら何十枚もの絵を描きました。20代から60代半ばにかけてフランス国内はもちろん、イギリス・オランダ・イタリアにも数か月単位で写生旅行に出かけています。その間も手紙で信頼する8人の庭師たちに庭の管理を細かく指示し、美しい庭園を維持させていました。
1926年にモネが86歳で亡くなった後、庭は50年近くにわたって放置され荒れ果てていました。転機は1975年、クロード・モネ財団の設立です。庭師長ジルベール・ヴァエさんを中心に3年かけて当時の姿に復元されました。ヴァエさんはモネが発注した園芸店を訪ね注文書を調査し、モネ自身が撮影した庭の写真を入手するなど、徹底した考証を行ったといいます。驚くことに、その園芸店はモネの没後100年以上経った現在も営業を続けています。
1980年の一般公開から現在に至るまで、パート・ボランティアを含む総勢30名近い庭師たちが日々手入れを続けています。そのおかげで庭は美しい状態を保ち、毎年世界中から50万人を超える来訪者が訪れています。
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